瑣末になる

同居人が髪を切るというので勇んでついていく。前シーズンにきちんとクリーニングに出しておいたコートに、リペアしてもらってすっかり整ったブーツを履くだけで、気分も洗われたようになる。そして人が髪を切ってすてきになると、こちらの気持ちまで浮かれるものだった。

街へ出るついでに閉会間際の展示へ行き、ごはんを食べて、カットを待っているあいだ古本屋をうろついた。終わってからもう一件展示を観にいく予定だったけれど、古本屋でうっかり夢中になって持ち金をはたいているうちに間に合わなくなってしまったので、ふたりで近くの喫茶店でコーヒーを飲んで帰った。

すべてがあってよいのと同時に、よいと思えるものはそれほど多くない。世界は生きとし生けるものに開かれているけれど、わたしのためにできているものはそれほど多くない。わたしの言葉が通じる相手はそれほど多くなく、わたしが見つけ触れられる他人は数少ない。

日曜日の公園にたくさんの親子がいて、自転車に乗ったりレジャーシートを広げたり、しゃぼん玉を飛ばしていたりした。そこを歩いて横切る姿勢のいいひとたち、停めた自転車にまたがったまま新聞を読んでいるおじさんがいる。誰と生きるかというよりも、いや誰と生きていたところで、それを瑣末さへ還してしまう瞬間が、昼下がりにはあると思う。