適切な食事、非合理の合理

急に夏が和らいだ。
わたしは昨年の5月か6月ごろから、持病のために食生活を変えている。以前にもそうしていた時期があったのだけれど、体調がよくなるとだんだん気を抜いて、またすっかり暴食し放題になって、そういうことを繰り返してとうとう爆発したのだった。それであらためて、とはいえ今度もどれほど続くかわからない軽いノリで米とグルテンを抜き、菓子類や乳製品をやめ、油物はなしにして油を使うのはせいぜい炒め物程度、肉はほぼなし、野菜と魚をメインに豆類などだけ食べていた。

厳格にやるつもりはなかったので、食べたいときはパンもケーキもお肉も食べたし、グルテンフリーの材料でおやつをよく焼き、たまには豆乳じゃなく牛乳を買いもした。「米をやめる」とか「グルテンフリー」とか、なにかを除くという考え方ではなく、とにかくおなかいっぱい野菜と魚と豆類を食べる、というスタンスでやっていたので、ストレスはまったくなかった。もともと野菜も魚も大好きだし、おなかいっぱい食べているし。続くところまでやればいいや、と思っていたらいつの間にか一年以上経っている。飽きる気配もいまのところはない。体調はまあ特別によくなるわけではないが、悪くなりすぎることもない。それに、食物アレルギーがあるわけでもないのだから食生活で改善するといったって一年や二年のスパンで見てもしょうがない。
ただ、かなり今の食生活が気に入っている。なにせおいしいから。おいしくなければ、わたしの場合は絶対に続かない。おいしいものを食べていたいから。

ついでに体重も落ちて、劇的に痩せるなんてことはないけれどもちょっとすっきりした。それで思ったのは、人はつねに適正な食事をしているのだということだった。摂食障害などは(わたしは経験がないのでなおさら)同じようにくくることはできないだろうけれども、食生活というのは健康的であれ、(ある程度)不健康的であれ、意識せずとも必要な形で行われているのだ。

たとえば風邪などをひいて寝込んでいるとき、いくら栄養が大事といっても食欲がないのに食べる必要はない。食欲がないというのはそういうことで、食べる必要がない(優先されない)から食欲がない。
たとえばこれは今年に入ってからのわたしの話、引っ越しでやたらと体力気力を使いくたびれていたのだけど、そんなときは米だ肉だ油だと特に考えもせず、導かれるようにしてカロリーの高そうなお弁当をよく食べた。あるいは流れで昼前に定食などをがっつり食べたときは、決まって突然の用事に夜まで奔走するはめになった。
たとえば仕事に追われて気持ちもせかせかしているときは、ジャンクフードを食べたくなる。もちろん食べる。
あるいはそんな食事が続いたあと、ここが限界だと言わんばかりにどんなに疲れていても自宅で野菜を食べる。簡素なお味噌汁、小松菜のおひたし。それで満たされる。針を戻して、眠って、また明日へ行く。

この一年以上の間にも、食生活を改めたんじゃなかったのかと言われそうなほど、3日に1度はパティスリーでケーキを買い込みもちろん焼き菓子も買っちゃう、という時期があった。振り返ればちょっとタガが外れていたんじゃないかと思うけれど、同時に、あれは必要な行為だったのだとわかる。この疫病下のストレスから始まり、ひとつのジャンルに目覚めたときの単純な好奇心もあいまって、大いに食べた。それでよかったのだ。
そして、それがパタリとやんだのは、黒ねこのふたつを迎えた日からだった。もちろん時々は食べたけれど、ケーキが主食と言わんばかりの勢いとはまったく質の違うものだった。

冬に引っ越しをすると、春がきて夏がくる。以前の家では、いろんな都合があって近年の夏は冷房をほとんど稼働させっぱなしだった。それからこの家に来て、結果的に合計すれば冷房をつけていたのは丸一週間くらいだったのではないかと思う。夜間はつけずに済んでいたし。

ねこたちはどうか、あまりバテるようだったら冷房を入れようと思い様子をみていると、ふたつは、30度を超えた日からとたんに活動量が減った。そして熱のこもらない場所で平らになる。わたしたちも暑かったし、ためしにと冷房を入れてみると、おもむろに部屋を出ていく。
吾輩のほうは暖房大好きの冷房嫌いなので、彼女もやはり冷房のきいた部屋で涼むことをしない。ようするにどちらも、まあまあバテてはいるが冷房が欲しいとは言ってません、という態度だ。だから昼間は風の通るベッドの上で(なぜか二人ごく近距離で)身体を広げて、ぐでんと眠るのだった。

すると食事量も少し減る。お節介心でたくさんお食べと言いたくなるのだけれど、夏前ほどがっつかないし、昼間などは本当に眠りっぱなしでいる。ねこも夏はバテて食欲不振になるから注意しろとよく書かれてあるけれど、よほど食べない・食べられないのでなければ、それで極端に弱っているというふうもなければ、多少の食欲不振は当たり前なのだと思い知らされる。決まった時間に決まった量を食べようとするなんて不自然すぎる。暑くて動きの少ない季節には、それに応じたエネルギー量が必要なのだ。
もちろん適切な環境を用意するのは飼い主の責務だから、食べようと食べなかろうと様子をみて状況を理解していなければいけないけれど、彼女らの生命の働きに口や手を出してもいけない。

わたしたちの食事が適切に行われているように、感じたことは正しさよりもよほど的を得ているに決まっている。それがどんなに非合理的でも、わたしにとっては合理的なことに違いない。もっとも、違いないようにいるためには、日々頭を働かせていなければならないけれども。

夏が和らいだ今朝、庭の緑が親しげな色を見せた。猛暑に若干疲れていた鉢植えのアップルミントも瑞々しく、スピーカーが鳴らす音はずいぶん温厚になり、ねこたちが軽快にごはんを食べる。